はい、こんにちは。
明日は早くに新幹線に乗らなければならないのに、夜更かしの小春せんせです。
九州の実家へは、もう1年帰ってません。
あたくしの本籍は柳川でございます。
北原白秋の実家とは家族ぐるみのおつき合いをしていたと聞きます。
「白秋さんとこは火事になって、それからが大変じゃった」と曾祖母が言っていたそうです。
父の生家は大変裕福な家で、父の父は趣味で教育者をしておりました。
ところが、小豆だったが砂糖だったか、その相場に手を出し、大損をして12部屋もあった、生家は他人の手に渡り、土地も失い、一家は離散いたしました。
父は一人だけお弁当ももたず、お昼に鉄棒にぶら下がってみんなが食事がおわるのを校庭でまっていたそうです。
15歳でだれにも言わず満州にわたり、そこでしばらく暮らし、その後戦争にかりだされ、どうにか弾に当たらず、帰国いたしました。
その後、新聞社勤務を始め、もう30代も半ばを過ぎた頃、11歳も年下の母を見初め、母の実家の強固な反対にもめげす、母をめとったのでありました。
あたくしの知っている父は、いつも着物を着て、火鉢の側で物思いにふけって
おもむろに、書斎にいき文机に向かってなにやら書き物をするのが常でした。
こっそり見てみると、原稿用紙には「千秋」と書かれていました。
父のペンネームです。
血筋がそうさせるのでしょうか、父も、博打がすきで、記者仲間と徹夜麻雀などをしていました。
「三日たっても帰ってこなかったら、雀荘に?рオてこい」と言い残して、若い母と三人の娘をほったらかして、出かけていたそうです。
しばらく経つと、ヒゲぼうぼうになって帰ってきて、黙ってお土産を出してきます。
「夏目漱石全集」「新潮社 世界文学全集」「サン・テグジュペリ」等々・・これらが戦利品でした。
綺麗な装丁の夏目漱石は、小さいながら全部、読みました。
文学全集のほうは、一巻から読み始め、バルザックぐらいで読めなくなりました。
子どもの理解できる内容のものではなかったようです。
あまり話をすることもありませんでしたが、あたくしは父が大好きで憧れていました。
明日は、父に会えます。
去年帰った時には、あたくしのこと、あまり思い出せないようでした。
それでもいいのです。父の側にいて、本の読みきかせをしようと思っています。