「肌の内に白鳥を飼うこの人は押さえられしかしおりおり羽ぶく」 佐佐木幸綱
肌の内に白鳥を飼う女性。。
白鳥の持つイメージは若山牧水が
「白鳥(しらとり)はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」
と詠っているように気高く、美しく、孤高である。
征服されそうで、決して征服できない存在。
作者は「この人」をそんな存在として、捉えているのか。。
「わたしに押さえつけられても、この人は、時に静かに羽ばたこうとする。
もしかすると、この人の中の白鳥は、この瞬間も夜空を悠然と飛んでいるのかもしれない」
そんな存在であるからこそ、憧れ感じているのかも。。
完全に自分のものにならない「この人」を、愛しいと感じる作者の心の余裕もさることながら
この瞬間が情景として目に浮かぶ巧みさ。
「おりおり羽ぶく」の「おりおり」という言い回しが、白鳥の悠然とした動きをよく現している。
同じ作者の歌で、
「サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず」
寝起きの彼女が、寝ぼけ眼で朝食をとっている。
サラダにはいっているセロリを無心に食べている。
そんな様子を傍で微笑ましくみている作者。
セロリを噛む音さえも可愛いと思う男性の包み込むような愛。
ここでも「サキサキ」という表現が歌に躍動感を与えている。
これは作者の20代の頃の作品らしい。
白鳥の女性にも、セロリの女性にも、どちらにもなってみたい。というのは贅沢か。笑。
最期に、男歌の代表者と呼ばれる作者の男気溢れる歌。
「月下の獅子起て鋼(はがね)なす鬣(たてがみ)を乱せば原点の飢え」