Koharoom

観た映画、読んだ本、聴いた音楽、旅した、食べた、買った、そして、思った記録です

 全ての行事が終わって。

今年の全ての行事が終わった私はどうなっているんだろう?と思いながら前回の日記を書き終えたことを思い出した。

婦人会の役に当たって3年目。今年は長をした。

こんな小さな集落で、婦人会活動なんてやっていけているのが不思議なぐらい。
しかし、この村の婦人会はつぶれない。
私がどう画策したってつぶれない。

仕方ないので、長としての役目はそれなりに果たした。

一番つらかったのは、毎週末に襲ってくる行事の数々だった。
記録だけはしておこう。

●10月3日:敬老会
村のご老人30人を公民館にておもてなし。味噌汁、お茶菓子の準備など。
去年は獅子舞いと一緒に踊る趣向があり、なーんでこの年になって、じじばばの前で笛にあわせておどらなあかんねん!と思ったが、今年はそんな趣向はなかったので、それは良かったと思っている。
ただし、油断は禁物。区長によっては、「婦人会さん。踊りなはれ」という人もいるから。


●10月10日:御宮掃除

●10月17日:コスモス祭り
これが一番しんどかった。村の畑にコスモスの種をまいて満開になったときに村人が集って、秋の収穫を祝う会。今年は200人分の食事を作った。それも4人で。準備はもちろん、前日から6升のお米(炊き込みご飯にした)を洗い、おでんの下ごしらえをした。
このときに、婦人会員の材料や器材の持ち寄りは良いことではないので、婦人会の会費の中から1升だきの炊飯器を買うと言ったところ、村人A(60歳、独身)から猛反対を受けた。
なんやねん、村にお金を出せというとるわけちゃうのに。婦人会が自分らで買うといってるのに、なんの文句があるわけ?で、当日、公民館にずっとおいてある古ぼけたガス釜は故障して使えず、とんだ目に遭った。が、村人Aには強烈な嫌味はいってやったので、すっきりした。
二日間、動き回ってくたくたになったが、ひとつ大きな行事を終えて、この時点ではかなり気持ちが楽になっていた。


●10月20〜22日:東京方面修学旅行
このころのことは、あまりに辛くて記憶にないんだが(笑)、私が担当している生徒(18歳女子)が修学旅行に行きたくないといいかけて、毎日、パニックを起こし暴れ、それをなだめたり取り押さえるためにひどく消耗した日々を送っていた。
さらに、その保護者が、あり得ないモンスターで、夜の11時でも娘が錯乱した!と言っては私に電話をしてきていて、それを私のせいにして、私は極限に来ていた。
ついに、電話で言い争いになって、それから冷戦状態になり、ねちねちと攻撃を受け、私は精神的にも疲弊した状態で↑のコスモス祭りが終わったと、修学旅行に這うようにしていった。

修学旅行のことは、一言で言うと、惨劇だった。
私は、観光しに行ったつもりはないが、ほんの少しの間でも、「あー、夜景がきれい」とか「パレード、すてき!」ぐらいは感じれるのかと思っていた。
精神病の家族を持つということはこういうことなんだ、、、と自分の認識の甘さをしった。

一瞬たりとも目を離せない、気も離せないってことがこんなに大変なことだとは。。
私はトイレに行くのも大変だった。。。私の姿が見えなくなるとホテルの中で泣き叫び暴れるので。。
校長がタッグを組んでその生徒の対応にあたってくれたのが、救いであったが。
二泊三日を終えて学校についたとき、安堵と恐怖のフラッシュバックで涙がでてきた。。

●10月24日:空き缶拾い、バザーの下準備

●11月7日:地区農業祭にバザーを出店「アグリフェスタ」
私は受付係りを仰せつかっていたので、来賓(県会議員)や市議の案内とかプログラム配りなんかをしながら、朝8時から4時まで立ちっぱなしでいた。
うちの婦人会は、不用品バザーをした。この値段つけやらなんやらで、この行事もまる二日かかった。
終わったあと、公民館で慰労会。収益が全てその飲み食いの費用に散って行った。
意味を感じない。ぷっ。

●11月14日:学校の文化祭
前日の13日にとうとう学校で倒れた。保健室で1日横になって「明日は休んでもらったら困るから今日は早く帰り」と言われたものの、文化祭の様子をビデオで教室に配信する設備の準備は私しか知らないから、やはりその日も帰れなかった。ひとつの学校に長くいるってこういうことなんだなぁと思った。

・・・ちょっととりあえず、ここでUPしよう。







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