金曜日の朝、割と時間があったので、ゆっくり準備。
なんせ実家には、双子と間違えられるぐらい背格好の良く似た姉がいて、衣類関係は全部揃っているので、それこそ、歯ブラシと化粧品を持っていけばよいぐらいなのだ。
こっちのじーちゃんが篠山口の駅まで送ってくれて、特急で新大阪へ。
これは乗り換えなし1時間なので、楽〜。
新大阪で20分ほど接続を待って、「のぞみ」でひとっとび小倉へ。
それから在来線に乗り換え一駅の門司で降りた。そこに姉と母が待っていてくれた。
をを。元気そうでなにより!
門司の町は駅こそきれいになっていたものの、商店街は全然変わってない。
母がよく利用している「戸の上市場」で雲丹と魚を買う。
「雲丹はこの店でしか買わない。明太子はここ」と決めている母に歯向かう者はいない。^m^
買い物を済ませ、実家へ。
我が家はフェリーの港の近くである。
実家と言うものはいいもんだ。なにもしゃべらなくても昔の役割分担が復活して、お茶を飲むのにも、姉が急須にお茶っぱをセットすればわたしが湯飲みを並べる。
無言でこういうことが進むってことが私にはすごくうれしい。
いつのまにかお手伝いができるようになっている姪っ子ののぞみも、その連携の中にちゃんと加わっている。
美味しい日本茶をいただきながら、家族の話を聞く。
いつも母、姉、めいっこの3人暮らしなので、寂しい思いをしているらしく、次々に話しかけてくるもんだから、返事に忙しい。笑。
久々に帰る者の役目だと思い、うんうん、と頷きながら話に興じる。
居間でひとしきり話をしたあと、母の部屋へ。
そこは、父が亡くなる前に母と暮らした部屋。
部屋に入ると、もう亡くなって7年近くも経っているのに、父の気配があちこちにある。
父がいつも座っていた場所に座ると木蓮の樹がみえた。
「木蓮が満開ね」というと母が、「私が小さい庭を造り始めたら、とうさんが市場に行って苗木を買ってきたんよ。もみじは店の人がサービスしてくれたらしくてね。もらってきたときは、こんなに小さかったのに。」と言う。
木蓮は見上げるほどの高さになって、白いゆったりした花をいくつもつけていた。
夜になって、叔父や義兄が東京から着いて、実家はいっぺんににぎやかになった。
夜更けまで、丹波の酒と関門の魚で、話は尽きず、明朝5:30起きだってこと、みーんな忘れていた。(^_^;)